かずのこくらぶ

みんなには算数嫌いになってほしくないな

 ひなた体験学舎では夏休み期間中「通い放題教室」を開いておりました。ご参加いただいた皆さんありがとうございました。スタッフにとっても貴重な体験と、深く考える機会をいただくことができました。

 通い放題教室の午前中は勉強をする時間で、主に夏休みの宿題のお手伝いをしておりました。そこでのことです。かけ算の筆算をするページに取り組んでいた少年に、「別の方法もあるよ。頭使わなくていいらくちんな方法だよ」と紹介しようとしたところ、「それはいいよ、学校で教わる通りに教えて」と言われました。見ると、筆算のドリルにはあらかじめ線が引かれていて、その中に数を埋める形でしか答えが書けなくなっていました。別の方法を試みることはできません。この少年たちは時々うっかり間違いをしているだけなので、わざわざ別の方法を教えるまでもありませんでした。ぼくはこの時、小学生にとって学校で習う以外の方法を受け入れることが簡単ではないことを知りました。別の大人から違う方法を示されると子どもは混乱します。

 でももし、学校で教わる方法で理解できなかったらどうなるでしょう。泣く泣く計算ドリルをこなすしかないのでしょうか。昔のぼくにはその道しかありませんでした。やっとのことで筆算ができるようになりましたが、おかげで算数は嫌いになりました。「君はこちらの方法で計算した方がいいかもしれないよ」と別の方法を教えてもらえたら、ひょっとすると算数が嫌いにならなくて済んだかもしれないと思っています。子ども自身が選ぶことは難しいとしても、大人はその子に最適な方法を選べるように準備しておく必要があると思います。学校でできないことなら、ひなた体験学舎でできるようにしておけば良いと考えています。

 計算が嫌いにならないようにしたいのは、算数やそれに続く数学を嫌いになってほしくないからです。電卓が身近なものになっている今の時代に、筆算や暗算技術をことさら訓練する必要はないと思うのですが、四則計算は理解しておく必要があると思います。そうした算数の入り口のところで嫌いになってしまうのはもったいないと思います。

 算数や数学の中には、生きていく上で大切な知識がいくつもあります。タイ国北部の山岳民族を取材した時のことです。集落では森が次々に伐採されていました。伐採していたのはその集落の一部の人で、彼らはトウモロコシを売って生活するために山を切り開いていたのです。でもその人たちは収入が増えるどころか借金に追われており、森は次々畑に変わっていったのです。その状況のカラクリをぼくは首都バンコクにあるコミュニティ支援グループの人に教えてもらいました。トウモロコシを安く買い叩きたい企業は、集落の人が数学に無知であることを利用して簡単には借金の返済ができなくなるような契約を結ばせていたのです。ぼくは支援グループの人から、集落の人々に対する算数や数学の基礎教育の大切さをつよく説かれました。日本でも中学校で複利計算を習います。これがわからないとこの集落の人のように借金でだまされてしまうかもしれません。また、確率がわかると宝くじなどのギャンブルが不利なゲームであることがわかりますし、統計学を知ると、もっともらしく示された数値がどれくらい信用できるのかがわかるようになります。身近な算数と数学は強く生きるための道具になるのです。

勉強するってこんなふうになる感じかな

 わかると楽しくなることもたくさんあります。たとえば高校で三角関数というのを習います。ややこしい記号が並ぶのですがこれを使うと、角度と距離を測るだけで木の高さが求められます。木に登って測る必要がなくなるんです。三角関数の使い方だけ分かっていたら計算はスマホがやってくれますし。いろいろと応用もできます。スマホの画面を回転させるときにも、毎回この関数が働いています。このように数学にはさまざまな分野で使われる知恵がたくさんたくさんあります。今やっている算数や数学が生活の中で何に役立つのかを結びつけて学んでいけると楽しくなると思います。

セシャト 知恵、知識、記述を司る女神

 最後に、計算が苦手で算数嫌いのぼくがなぜこんなことを言えるのかというと、じつは大学生になってから、数学を初歩から懇切丁寧に教えてくれる先生に出会えたからです。植物が育つ過程でさえ数学で示せることを教えてもらいました。その時初めて数学が面白いと感じました。この先生に出会わなかったら、みんなに算数を嫌いにならないで、とは言えなかったでしょう。電卓やパソコンが出回り始めた頃で、もう自分の手で計算する必要がなくなっていたことも幸いしました。

市河三英

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